リセットマン十八号

わたしには癖があります。

それは、ほぼ一定周期でネットの交友を全部リセットし、ゼロからやり直す、ということです。

なかなかの悪癖だとは思っていますが、「友達はどうせまたできるし、作り直せばいい」というのを、なんとなくわかってしまっているんでしょうねきっと。

そんな言い方をすると、いま現在仲良くしていただいている方々からお叱りをちょうだいしそうな気がしないでもないですが、事実なので仕方ない。

自分は「友達をすぐに作ることができる」という才能(?)があります。

なんとなく「好かれる語り方、接し方」というものを本能的にわかってる感じがします。

なので、相手の放射しているシグナルにあわせて、それに適したピースを投げ返してあげることにより、自分の意図する方向に相手を誘導できている気がします。本当のところは、どうだか知りませんけど。

で、リセット癖です。

昔から「あなたは優しい人だ」と、親からも、親でない人からもよく言われて居るんですが、違います。

私は、優しいのではなく、丁寧なだけなんです。たぶんね。

優しくないので、平気で裏切るし、親しい知人の前から急に居なくなったりします。

なんか、捨てたくなるんですよね。人間関係を。ダンシャリっていうか。こう、無名の人になりたくなる。

自分を識別してほしくないという想いが高まり、ある限界を越えると。パーンと。破裂するわけです。「わたしを知っていて欲しくない」というのが、なぜか想いとしてあるんです。理由はわかりませんが。

遠い昔、学生時代にですね。辛いことがあって、劇場型犯罪じゃないですけど、盛大に「ネット上の自分のお葬式」を、やらかしたんですよ。ブログで。いかにもそれっぽい演出を最大限に工夫までして。

それをやられた知人は、ショックだったと思いますよきっと。悪いことをしたなあ、とは思っています。でも、そのことで自分自身を責める気持ちは、沸いてこないんですよね。不思議なことに。

自分は、両親が出来た人だったためか、なんか自己肯定感がずっと高いまま生きています。高いままなので、鬱病になった時もそれと分からずに。「なんか調子悪いな、動けないな」くらいしか思いませんでした。

ネットの文章書きの間では「自己肯定感の低さに思い悩む」みたいなのが流行ったり廃れたりを繰り返してますが、そんな中でも自分の自己肯定感はずっと高いままです。

だからなんですかねえ。異性とはうまくいかない。

だいたい歳の離れた相手のほうから寄ってきて、勝手に幻滅して相手が怒って去っていく。

自分は「よいこと」しかしてないつもりだから、プライドが高くて、「よいこと」を否定されたことに怒り、相手を嫌いになる。それの繰り返しです。

自分の中に通っている鏡のようなモノに照らして、それに基いて「正しい」ことをすれば自動的に幸福になり、背くことをすれば自動的に嫌な気分になる。

自分の世界認識はそんな感じです。

異性とはうまくいきませんが、自己肯定感が高いので屁とも思っていません。「つがいになれなければ人ではない」とは思いませんし。むしろ自分を認めてくれない相手が劣等なのだ、くらい思っていますよ。ひどいですね。

自分は「美」を調査し、蒐集するために生きていると思っています。