【自分語り】疑似ミツグ君病【スルー推奨】

せっかくなので語ることにします。墓場まで持っていってもいいんだけど。

ミツグ君とは

90年代バブルの頃にあったらしい、「お金だけは持っているが、女性に人気のない男性が、魅力的な女性に高額な贈り物をするが、受け取ってもらえるだけでこれといって見返りがない、という形態の交際」をミツグ君と呼んだ。アッシー、メッシーなどが類義語。

疑似ミツグ君病

自分は、「自分が価値あると信じるもの」(自分自身を含まない)を否定されることにかなり極端な怒りを覚えるようです。そして、そのぶん受け取ってくれる、認めてくれる相手の奴隷になりたがりやすい性質がある。

エレキギター、アンプシミュレーター、パソコン、高額キーボード、などなど…。

自分が実際に使っていいと感じた道具を他人に押し付け、あげてしまう悪癖がある。

「自分がよいと思ったものを押し付ける」のであって、「相手が欲しそうにしているものをあげる」のではないのだ。この点がミツグ君とは違う。

「自分にとって間違いなく、よいと感じるもの、を提供するのであるから、相手は嬉しいに違いない」という強い思い込みがあり、これで何度も失敗してきた。「自分がされて嬉しいなら、相手もされて嬉しいに違いない」という。他人と自分は同じものであるという謎の信仰をしていた。

「自分が価値あると認める贈り物を相手に受け取らせることに成功する」ということで得られる充足感が、なんだか自分の空虚な部分を埋めてくれるような気がしていた。

克服

「他人は他人であり、自分の思い通りにはならない」ということを決定的に思い知ったことで、この「あげます」の病は解消した。恋愛は人をオトナにする。

最初から恋愛をする気のない人に対して恋愛の虚像を投影するのは、相手にとって迷惑であるし、時として、その人にとっては相手を問わず恋愛自体が嫌悪の対象であることもある。

6年間ネットで友人関係を築いた女性とぢかに会える距離に物理的に移動したことがきっかけで、その友情は破綻してしまった。自分は友情から昇華した恋愛になってほしかったが、相手はそうではなかった。相手は、自分自身の領域に踏み込まれることを嫌がっていた。

「他人とはどういうものであるか」を直接目の当たりにしたことで、他人に幻想を投げかけることを自分はやめた。長い戦いだった。